「エピソード」の記事一覧

第22回全日本アンサンブルコンテスト・金管8重奏

1998年度(H10)
1999年3月20日・福岡

 1年生8人で練習を始めた頃には、予想だにしなかった全国大会出場。高校の部で、私たちと同じ『テレプシコーレ』が6団体並び、緊張しました。
 他団体から強いプレッシャーが伝わってくるリハーサル室で、全国のレベルの高さを痛感。シャンデリアの美しいコンサートホールで、夢のようなステージはあっという間に過ぎました。審査発表を受け、肩の力が抜けてホッとしたのを憶えています。
 旅の思い出に一同、キャナルシティ博多へ出かけたら、さきほど同じステージにいた四国代表高松第一高校の金管メンバーと偶然出会い、同じ曲を演奏した者どうし、盛り上がった一幕も。若いエネルギーを出し合って音楽に向き合い、メンバーの心を一つに駆け抜けた、貴重な時間でした。

(情報提供:H12卒・Hr.OB)
<福岡高校にて(1999.3.19)>
[掲載日:2020年5月13日]
※エピソードは該当年度、もしくは執筆者の卒業年度のカテゴリーに掲載させていただいております。そのため掲載日と掲載順が異なりますことをご了承ください。

第25回東海アンサンブルコンテスト・金管8重奏

1998年度(H10)
1999年2月21日・四日市

 メンバーは全員1年生。寒い冬に、狭い班室に8人籠って、よく練習しました。班員おなじみの青ブレザーとは別に、本番用のセーターをメンバーで揃えて出場。岡谷で開催された県大会では、直前に何人か風邪でダウンしたため、ここが最後のステージになるかもしれないと覚悟して臨みましたが、まさかの県代表に選出。東海大会では、強豪校が居並ぶ中で、自分たちのベストの演奏で飾ろうと集中しました。
 そして、予想もしなかった支部代表に選出され、一同泣いて喜びました。この仲間でもう一度演奏したい、その一心が通じたのでしょうか。このとき、ペアで代表に選ばれたのは、屋代高校の金管8重奏。地区大会から見知った団体とともに、東海代表2枠を長野県勢が獲得しました。

(情報提供:H12卒・Hr.OB)
[掲載日:2020年5月13日]
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長野高校吹奏楽班時代のエピソード

1997年度(H9)

OB・OGの皆様、こんにちは。

長野高校吹奏楽班、1997年度卒業の葛尾(旧姓、佐々木)瑞穂と申します。
フルート担当でした。

事務局の方から、当時のエピソードというお話でしたが、23年前にもなりますので、細かくは思い出せないことも多いです。

しかし、やはりあの高校での3年間は一番一生懸命に吹奏楽に対峙していて、41歳の今でも、演奏会前なのに練習に間に合わない、楽器を忘れた!という夢をしょっちゅう見ます(笑)

本当に練習に明け暮れた3年間だったなあと思い出します。その後は東京の大学でサークル程度で続けて、就職と共に辞めてしまったのですが、最近、小学校六年生の娘がピアノの発表会に出るというので、つい、私もフルートで出る!と言ってしまいました。

久しぶりに吹いたフルート、音はなかなか戻りませんでしたが、吹いていると高校時代のあの感じが戻ってきたのです。

ソルフェージュ!当時の顧問小林泉先生の表情と周りのみんなの音、音楽室の空気の感じ。体に染み付いていたのですね。

ホールでのピアノ発表会自体は延期になり、オンライン発表会となりましたが、その後は度々週末に吹いて、来年の発表会にも出ようと思っています。

今年は演奏会が延期になったり、イレギュラーなことがたくさんあり、心が折れることもあるとは思いますが、今、目の前にある、出来ることを淡々と続けることが、長い目で見たら、きっと何か自分の糧になるのではないかと、私は思います。

東京で生活しているため、長野にはなかなか帰省できませんが、皆さんの活躍をオンラインなどで見て、いつも元気をもらっています。

どうか、無理はせず、でも出来たら、続けてほしいと思います。

葛尾瑞穂より。

[掲載日:2020年9月22日]
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※実名の公開はご本人の承諾を得ております。

現役の頃の思い出

1975年度(S50)

 「長野高校吹奏楽班ヒストリー」を拝見し、あまりの懐かしさにメールを思いついた次第です。私は滝沢君と同学年の青木と申します。

 「演奏会」について書かせていただきます。我々は、吹奏楽班に入って直ぐに演奏会の話を聞かされました。単独での演奏会の経験が全くない、ゼロからの開催でしたので、2年上の先輩方は本当に大変だったと思います。その情熱は今も覚えています。

 「お花見」は今も続いているのでしょうか? あの頃は桜がまだ4月末まであって、その頃班員全員でお花見に行くという行事でした。そこで自己紹介をして、親睦を深めるのがねらいなのですが、その場で、3年生が演奏会のことをとても熱く語ってくれました。その時私は何だか次元の違う世界に飛び込んでしまったような感じにとらわれたことをはっきり覚えています。ゼロからの開催の演奏会でしたが、OB演奏会(当時はそう呼んでいました)はすでにありましたので、それが支えになったことも成功した要因だと思います。OBの方々の支援も忘れてはならないと思います。第1回のプログラムも載せられています。もちろん手作りですが、それがかえって先輩方の情熱を伝えてくれています。

 我々の代での演奏会は第3回になるわけですが、開催するにあたり、1回・2回を経た演奏会をどう発展させるのか、違ったものにするのかを悩み議論しました。(もちろん第2回の時も1年上の先輩は悩んでいました)こういった新しいものを求める姿・情熱は毎年受け継がれ、今の吹奏楽班の発展につながっているのだと思います。

 現役諸君の人数が減少していると聞きますが、このサイトが吹奏楽班の楽しさを広げてくれて、入部する諸君が増えてくれればと願っている次第です。これからの吹奏楽班の活躍を応援しています。

青木博行(S50卒・Tub)
[掲載日:2020年9月30日]
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第3回長野高校吹奏楽班OB演奏会

1971年度(S46)

「第3回長野高校吹奏楽班OB演奏会の写真です。会場は、今は跡地が長野消防署になってしまった勤労者福祉会館(信大教育学部の南側)です。指揮が班長の木藤、ソロで立ち上がっているのが私です。この曲は『ロミオとジュリエット』愛のテーマ、この年の大曲は『ボレロ/ラベル』でした。」
※提供:江守幸一さん(S42卒)
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[掲載日:2020年4月20日]
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